『1・2の三四郎』『What's Michael?』『柔道部物語』などで有名な小林まこと先生の漫画人生の自伝漫画。小林先生が『1・2の三四郎』でデビューしてから連載終了までの5年間と、その時代に出会ったさまざまな漫画家たちとの交流が描かれています。
小林まこと版『まんが道』
地方から上京した19歳の若者がいきなり週刊誌での連載をスタートさせ、『1・2の三四郎』も大ヒット。
小林先生と同時期にデビューし、「新人3バカトリオ」と呼ばれていた小野新ニ先生も大和田夏希先生との日々が描かれます。才能ある漫画家たちとの苦しくも楽しい思い出を小林先生のギャグ描写と合わさって、メチャクチャ面白く読めます。最初は僕も、当時のことを笑って読み返せるものだと思っていました。
ちばてつや先生に挨拶する3バカトリオ
過酷な環境
しかし同時に見えてくるのは漫画家の過酷な仕事量の実態と創作の苦しみ。数日間の徹夜は当たり前で文字通り命を削って連載に向かう先生たちを見ると、時代とはいえもう少しなんとかならなかったのか…。
漫画とは離れますが、例えば今、メジャーリーグで活躍している大谷翔平選手と同じくらいの能力を持った野球選手は過去にもいたかもしれませんが、当時の野球界の慣習によって潰れていった事例も多くあったに違いありません。それは漫画の世界でも同じなのではないか…。そうであれば、素晴らしい漫画を読者に届けてくれる漫画家たちに敬意を示すと共に、少しでも消えていく漫画家が出ないようにと思わずにはいられません。
親友たちへのレクイエムとして
この作品では、著者にとって1番ヘビーな体験、2人の親友の死についても描かれています。大和田先生は自殺、小野先生は過度の飲酒が原因の病気で…。当時この3人の作品を読んでいた人の中でも、小野先生と大和田先生が辿った顛末のことは知らなかったという人が多いんじゃないでしょうか。ヒット作を生み出した漫画家たちもいつまでも作品を生み出せるわけではなく、読者の圧倒的多数はいつのまにか誌面で見なくなった漫画家のことを「あれ、そういえばあの漫画家って今何してるんだろう」と思い返すくらいですが、どうやって「消えて」いくのか、この作品にはその理由が描かれています。
2人との別れを描く際にも小林先生はあくまでも淡々と、できるだけ抑えた描写を心がけていたように思えます。先生は、親友が生きた姿をできるだけそのままに、お涙頂戴抜きで描きたかったのかもしれません。
正直なところ小野先生も大和田先生も、手塚治虫先生などのようなビッグネームではないため、作品は忘れられていく運命かもしれません(2人が漫画に注いだ情熱は、偉大なレジェンドと比較して全く劣るものではなかったというのに)。それでも2人は確実にそこにいて、漫画と向き合っていたことを伝えたかったのではないでしょうか。
締めくくりにもそれは現れています。小林先生はこう描いています、「数えきれない名作が生まれてくる。新しい才能は尽きない。その中に、新人3バカトリオもいた」と。「自分たちは特別ではない。でも少年マガジンの歴史の中には俺たちもいた、確実にいた。2人を忘れないでほしい」。その想いが伝わってくるようです。