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無数の声なき声が叫ぶ怒り(『肉弾』)

『日本のいちばん長い日』の岡本喜八監督の戦争体験を基にした戦争喜劇映画。戦争末期の日本のどうしようもなさ、哀しさを特攻兵の「あいつ」の目線から戯画化して描き出しています。

「神」になれても明日はない兵士

「あいつ」は特攻兵の訓練をしていますが、腹が減って仕方がありません。やむを得ず盗みに入って区隊長に「それでも人間か」と問い詰められて「牛であります」と答え、飯を増やすよう意見したら「豚」と呼ばれ素っ裸で訓練させられる。自身に特攻を命じた学校長によって人間をすっ飛ばして「神」になります。

自分に特攻を命じた老人は老後を豊かに過ごすべくトラックで去っていくのに、「あいつ」には未来がありません。特攻で「神」になるため明日はないからです。「あいつ」は独白で語ります、 「それだけだ。本当にそれだけだ。人から牛になり、牛から豚になり、豚から人間に帰ろうと思ったら一足飛びに神様になっちまった。それだけの話だ」。

人間でいたい

この物語の前半は特攻隊任務前日の外出許可が出た一日の話ですが、その日は一日中、ずっと雨なんですね。「あいつ」は死ぬ前に女性を抱きたいと女郎部屋に向かうんですね。そこでヒロインの「うさぎ」と出会うわけですが、その前に印象的な場面があります。

雨なので当然傘をさしているのですが、特攻に行くなら「神」なんだろ、だったら神らしく傘なんかさすなと言われるのです。それに対して「あいつ」はこう返します。「明日から神になるので、今日は人間らしく、雨が降ったら傘をさしていたいんです」。もうすぐ死んで「神」になるのに傘をさすことすら咎められるなら、特攻に行く意義って何なんでしょうか。

どうしようもない特攻兵器

ところで「あいつ」が乗る特攻兵器。まあ馬鹿馬鹿しいものでして、最初は対戦車の人間地雷だったのが、結局は海にぷかぷか浮かぶ妙なガラクタに乗ることになります。「回天(人間魚雷)」と「震洋(小型特攻ボート)」と「伏龍(人間機雷)」の最もアホらしいところを合体させたもの、という感じです。結局戦争が終わったのも気が付かずに、使うことすらなかったわけですが。

「馬鹿野郎」

この映画、個人的には期待して観始めたのですが、ほのぼのしたBGMに合わせてとぼけたやりとりが続き、中弛みもあって正直なところ、あんまり面白いとは感じませんでした。しかし、岡本喜八監督がどうしてもこれを創らなければならないという迫力と、根底にある感情はひしひしと伝わってきます。

戦争が終わって平和になり、海水浴客で賑わう海の中でたった一人、「あいつ」は「馬鹿野郎」と怒号しています。「あいつ」以外でも、この映画の登場人物には固有名がありません。まるで、あの日声をあげたくてもそれを許されなかった、無数の人たちの怒りと哀しみを表しているかのように。もしかしたら、彼らは今でも叫んでいるのかもしれません。「馬鹿野郎、馬鹿野郎、馬鹿野郎」と。