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なぜ戦艦大和は造られなければならなかったのか?(『アルキメデスの対戦』)

「美しい」日本の象徴たる戦艦大和の建造を阻止せんとする数学者の戦いを描いた話。正直食わず嫌いで観ていなかったのですが、めちゃよかったです。

我々は先の戦争で戦艦大和、および旧日本軍がどのような末路を辿ったかを知っています。そしてこの話は史実として起きた「戦艦大和の建造と撃沈」そして日本の「敗戦」という動かせない事実がまず下地にあります。つまり主人公である櫂直がどのような活躍をしたとしても、最終的には大和は造られてしまうし、その後の壊滅的な未来が待っていることもわかっているわけです。この状況でどのように物語を収束させればよいか、という構造的な難題を解決しなければなりません。

この難題に対して山崎貴監督は非常にアクロバティックな論理を持って解答を出します。大和という「絶対に沈まない」「日本の象徴たる」戦艦を造ることがどんな意味を持つのか?なぜこんなものを造る必要があったのか…?本作の敵役である平山造船中将が語る「論理」に、櫂は最終的には屈服することになります。この展開は非常に震えました。同じく美しい兵器に取り憑かれた男の話としては宮崎駿監督の『風立ちぬ』があるかと思いますが、あの作品での堀越二郎(技術者)は無垢の存在であり、兵器として使ったのは軍部なので彼は無罪、というスタンスが非常に欺瞞的だと感じていたんですね。

これに対して『アルキメデスの大戦』の櫂は、その後訪れる決定的な破滅を予見した上でなお、戦艦大和の建造に明確に加担します。彼は美しい戦艦を造ることを選択し、その結末を見届けることにしたのです。物語は真珠湾攻撃成功後、つまり旧日本海軍の絶頂期で幕を閉じるのですが、大和の進水式で隊列に並ぶ櫂はすでに他の軍人たちに埋もれてしまっています。船を降り、海に浮かぶ大和を見て「僕はあの船が日本そのものに見えるんだよ」と涙する櫂と、曇天の中海原を進む大和の姿を見て、日本というものの得体の知れない闇を感じ、暗澹たるカタルシスを感じたのでした。