「芸人」の晩年とは難しいものです。特にお笑い芸人は、人を笑わせて楽しませていたからこそ、しばしば全盛期と比較して、いっそう晩年は寂しく見えるもの。
まず、いつまでも笑いの最先端に居続けることはほとんど不可能です。例えば、過去に一世を風靡したギャグが今現在においても変わらず大爆笑を起こせるでしょうか?どれだけ時代を象徴したギャグでもいつしかそれは古びたものになり、「笑い」ではなく「拍手」が起きるようになります。「ギャグは拍手をもらうようになったら終わり」という言葉にある通り、拍手はその芸が「笑い」ではなく、「懐かしいもの」に変わってしまったことを示しています。
また、当たり前ですが、人生には何があるかわかりません。笑いの才能が枯渇してしまう、新しいメディアの時代についていけなくなった、病気や不幸があった…。こんな場合、たとえ本人に瑕疵はなかったとしても、お笑い芸人は「笑えなく」なってしまうのです。これが役者やスポーツ選手であれば、不幸を乗り越えて舞台に立つことで観客に感動を与えることができるかもしれませんが、お笑い芸人は人を笑わせなければなりません。観客は感動してくれることはあったとしても、心から笑ってくれることはありません。この辺りがお笑い芸人の難しさであり、晩年の寂しさにも関係してくるのでしょう。
この本で挙げられている「昭和芸人」は榎本健一、古川ロッパ、横山エンタツ、石田一松、清水金一、柳家金語楼、トニー谷の7人です。本書は彼らの晩年にスポットを当てつつその生涯を紹介しておくのですが、正直この7人を以前から知っていたという人はあまり多くないのではないでしょうか。僕の場合、榎本健一はテレビ番組で特集が組まれていたことで知っていましたが、「喜劇人」としては知りませんでした。後はトニー谷について、さくらももこ先生のエッセイ(『たいのおかしら』)で結婚相手の家に行った際に「トニー谷」と言おうとして「タニートニ」と発してしまった、というエピソードで「そんな芸人がいたんだ」くらいの認識でしか知りません。後は横山エンタツについて、今のしゃべくり漫才の原型を形作った「エンタツ・アチャコ」というコンビがいたことをうっすら知っていたくらいでしょうか。後の4人については全く知りませんでした。
しかし彼らは一時、確実に時代の寵児とも言える活躍を見せていた芸人たちなのです。彼らの晩年から漂う寂しさ、孤独感を感じ取ってからふとテレビ画面を見ると、今絶頂期にいる芸人たちの活躍が映し出されます。僕には彼らの芸が、より一層かけがえのないものにも思えてくるのです。
ちなみに本書は2016年の著作ですが、冒頭でダウンタウンのエピソードで始まっています。「ダウンタウンのごっつええ感じ」で1994年に放送された「2014」というコントで、彼らは50歳を過ぎて没落した自分たちの姿を描きだしました。1994年の時点において、いや2014年の時点でも、また本書が発行された2016年に置いてすら、松本人志が今(2024年)のような形で表舞台から姿を消しているなんて想像できたででょうか。ひょっとしたら2044年には、ダウンタウンもまた、その晩年が孤独に満ちたものとして描かれるかもしれないのです。