「僕が感じていた『物語』の怖いところそのものだ!」思ったお話があります。
加奈子犬木先生の『かなえられた願い』シリーズは基本ベースとして、
・願いを持った主人公がいる(大体身勝手な考えを持っている)。
・13日の金曜日に悪魔を捕まえ、悪魔に1つだけ願いをかなえてもらう。
・かなえられた願いの弊害のせいで悲惨な末路を辿る。
のが骨子になります。
犬木作品全般に言えることですが、登場人物や作品世界が極度にデフォルメされた紋切型のものになっており、一種の寓話として読むことができます(たまーに本当にいい話があるんですよね…)。
「ハッピーエンド」の主人公は現実がつまらないと嘆く少女。悪魔に願いをかなえてもらい、童話の世界(シンデレラ)の中に入っていきます。
童話の世界通り、こき使われる主人公でしたが、物語通り素敵な王子様に見そめられます。
物語は無事ハッピーエンドを迎えました。さあ、その後は?不思議なことに、周りの登場人物たちはピクリとも動きません。これから何をするのか尋ねる主人公に、王子様はこう返します。
「べつになにもすることはないよ」
「話は終わったんだからね」
幸せになるんじゃないのか?と言われても、「いつ なにをして どういうふうに 幸せになったかなんて 物語にはどこにも書かれてないんだよ」「話がないのに ぼくたちが勝手に動くワケにいかないんだ」…。
なんだそりゃ!と主人公が抗議しようとしても、身体が動きません。彼女も物語の主人公で、「勝手に動くワケにいかない」からです。
「それじゃああたしはどうなるの?」と叫ぶ主人公に、「誰かがまた物語を読み始めれば始めから繰り返されるだけ」なんだと…。絵本からは彼女からの助けを求める叫びが今も聞こえてきます…。
物語で「設定されている」こと以外がどうなっているのか、何もないハリボテなんじゃないか…というのは僕が小学生くらいの時によく想像していたことです。もう一歩進んで考えますと、今現実の世界で対峙している人たちは自分と会っていない時に本当に存在しているんだろうか?実は全員存在していないんじゃないだろうか…と、独我論のような話をすることもできますね。
小学生の頃の僕はこの恐怖をうまいこと言語化することができなかったのですが、そういった根源的な不安や恐怖を描き出すことが、物語の持つ重要な役目なのかもしれません。