Elecmanのブログ

日々の雑記

bar「moja」とシェアハウス時代②オーナーのたけいさん

2018年から「moja」にはいろんな意味でお世話になったので自分視点での思い出を書いていく企画(あくまで自分の視点なのでちょいちょい間違ってたらすいません)。

 

普通バーってものは、バーテンダーさんがいてお酒を作ってくれて大人の交流をするもんだろ思いますが、mojaはそういうところではなく、感覚としてはイベントスペースといった方が近いかもしれません。バーテンダーは日替わりでその都度いろんな人がいます。自分も実は数回イベントをやったことがありまして、このお店では結構初期の企画をやってました。まあそれはいいとして…。出会った人との思い出を書いていきます。

店長(現オーナー)たけいさん

mojaで最初に会った人です。mojaはこの人と、次に紹介する人のおかげで今があります。たけいさんがどういった経緯でお店を始めたかはこんなインタビュー記事が残ってます。

バーを始めるきっかけになったのは2社目に勤めている時。当時26歳で、そろそろ1人暮らしを始めたいと思い立ったんです。

ただ、普段ずっと会社にいるのに、その分の家賃を払うのってなんか嫌じゃないですか。

うーん…。うん、わかる。わからないでもない。

どうしたものか、と考えている時に「えらいてんちょうさん」(以下、えらてんさん)のブログにあった「しょぼい起業」の話と出合って。 

それで、どうせなら引っ越すついでにそこを職場にしてしまおう、と思ったんです。

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mojaを始めてしばらくは会社勤めをしつつ夜に店を開けて、確か店内で寝てたんじゃなかったっけ?そういう生活スタイル、一度は経験してみたい気はします。自分にできないことをやってるのって憧れますよね。

自分は大学卒業後にずっと勤め人をやってて、そういう人生も大事なんだと思いつつ、勤め先を辞めて人が集まる場所を何もないところから作るってすごいなと思うわけです。多分自分が今から何か店を作ったとして、この人のような居場所を提供できていたかというと、それはできないと思うんですよね。人と交流できる資質、また来たいなと思わせる資質がこの人にはあって、たぶんたけいさんに会いに店に来ていた常連客は(自分含め)相当数いたんだと思うんです。

この人がいないと今の自分の交友関係の何割かはなかったので、その意味でも感謝しています。

(シェアハウス時代については別の記事で書く予定)

 

たけいさん、またバーベキューしましょう。

bar「moja」とシェアハウス時代①

自分は大学を卒業して勤め人をしています。なんだかんだ働き始めて10年以上経過していると色々あったのですが、その中でもbar「moja」との出会いは大きかったと思っています。

 

mojaってどんなところ?

こんなところです↓

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江古田にある「イベントバー」です。イベントバーというのは日替わりでいろんな人がいろんな趣旨のイベントをやるっていうやつで、自分も何回かイベントをさせていただいたことがあります。

最寄りは西武有楽町線新桜台駅ですが、電車の本数等を考えると西武池袋線江古田駅から歩いてきた方がよいかもしれません。新桜台駅からなら徒歩2-3分、江古田駅からだと徒歩10分くらいです。

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自分がmojaに初めて行ったのはお店のプレオープンの日、確か2018年3月だったと記憶してます。当時要町にある同じくイベントバーエデンというところによく顔を出していたのですが、そこのお客さんにこういう店ができるということです一緒に行ったのが最初です。近くに銭湯があったのですが、なぜか銭湯セットが売り物に出されてたのが印象に残ってます。

この時の店長の「たけいさん」がやっていたシェアハウスに後に転がり込むことになります。

このお店でたくさんの人と出会うことができましたし、シェアハウス時代の思い出と合わせてぼちぼち書いていこうかなと思ってます。

被害者が加害者になる時:「とうせん坊」(まんが日本昔ばなし)

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皆さんはアニメでやってた「まんが日本昔ばなし」ってご存知ですか?若い世代で見てなくても、「いいないいな、人間っていいな」のエンディングは聞いたことある人も多いんじゃないかと思います。僕も小さい頃はなんとなく毎週見ていたんですが、中にはトラウマものの怖い話も結構あったんですよ。

そんな中でもトップクラスに救いのない話は…というのでよく話題に挙がるのが、「とうせん坊」というお話です。(YouTubeで視聴できますが、気分が落ち込んでる時は見ない方がいいと思います。)

 

救われない被迫害者

主人公の「とうせん坊」は物心ついた時から親もなく、図体はでかいが頭も悪く周りから虐められていました。ある時観音様に百人力を授けてもらったのですが、それをうまく活かせず人を殺してしまいます。人里を離れて暮らしてた彼のところにも悪意を持った人に嫌がらせをされて、それでブチ切れた彼は見境なく人を殺す暴れ者になってしまいます。

やがて彼は東尋坊に流れ着くのですが、そこで宴会をやっている人たちにかけられた優しい言葉にふっと気が緩んでしまったとうせん坊は騙されて縛り上げられ、崖から落とされてしまいます。今でも彼の怨念が、吹き上げる強風として海上で吹き荒れています…。

 

元になった話はもう少し違うんですが、これ、子どもに見せるにはかなり重い話ですよね。この後に「人間っていいな」流されても困るんですけど。

 

周りの人間が彼を怪物に変えた

しかし昨今のいろんな事件を見てもわかる通り、実際に過去にこんな人はいたし、今も間違いなくいるんですよね。もちろんとうせん坊がやったことは大量殺人で許されないことですが、彼をそこまで追い込んだのは間違いなく周囲の人間です。この話、すごく怖いのはとうせん坊以外の村人の瞳が白く描かれてるんですよね。これはとうせん坊から見た周囲の人間たちということを表しているのでしょうか。はっきりとはわかりませんが、少なくとも誰一人彼のことを見てあげていなかった。ただひたすら彼を迫害し、彼をモンスターに変貌させてしまったということは言えるでしょう。

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もし、誰か1人でもとうせん坊に優しい言葉ををかけてあげていれば、彼に愛を与えてあげていれば…と思わずにはいられないんですが、しかし、じゃあお前ができるか?誰がやるんだ?と言われたら恐らくできない。そこが本当に難しい。

 

あなたの周りにも「とうせん坊」はいる

京アニ放火事件や安倍晋三氏襲撃事件のことを調べてみると、犯人たちが周囲からどんな扱いを受けてきたんだろうと考えてしまいます。映画『ジョーカー』のように、救いのない環境を生きてきた被害者がモンスターに変貌し、自分を見捨てた世界に復讐している…と、よく言われますよね。もちろん自分は実際に起きてしまった事件の加害者は裁かれなければいけないと考えており、絶対にそこを取り違えてはいけないと思っています。しかし、物語として「とうせん坊」を見てみるとどうでしょうか。彼らの気持ちが「わかる」…とは言いませんが、「少なくとも一度はこんな経験がある、言われたことがある」、「真に悪いのは我々ではないか、この世界ではないか?」そんなふうに思わされてしまう時があります。

 

自分たちもいつか、悪意なく迫害し続けてきた「とうせん坊」に復讐される未来が待っているのかもしれません。加害者が被害者になり、また被害者が加害者になる。この地獄のような連鎖こそ、この世界の一つの本質なのかもしれません。

ほぼ日手帳とMDノート用カバーはシンデレラフィット

就職以来ずっと使ってきた能率手帳1225が販売終了となってしまったため、2023年からほぼ日手帳を使っています。

なんだかんだ1年お世話になったのですが、個人的にほぼ日手帳で悩んだのがカバーの問題です。ほぼ日手帳の公式カバーはあるのですが、手帳より大きめのもので正直自分には使い難い。文庫用カバーを試したり色々したんですがどうもしっくりきませんでした。

で、この前2024年用のほぼ日手帳を買いに行ったところで見つけた、MIDORIさんから出ているMDノート用のカバー(文庫サイズ)を試してみることにしました。

 

今回購入したのはほぼ日手帳オリジナル+MDノートカバー(文庫サイズ)です。着用感はこんな感じ↓

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カバー自体が透明なので写真だと分かり難いですが、サイズもぴったりでいい感じです。透明なのを利用してデコってもいいですし、実用的に予定とか忘れたくない項目をカバーから見えるようにしてもいいかもしれません。

2023年用と2024年用で2つ買ってみました。これで手帳カバー問題が解決すればいいのですが…。

 

ステーション・バーのこと笑ってたけど俺もステーション・カフェやってたわ

吉本浩二先生の『こづかい万歳』にはありとあらゆるジャンルのこづかい怪人たちが集いますが、その中でもトップクラスの戦闘力を誇るのが「ステーション・バー」怪人の村田です。吉本先生の幼馴染である彼は30歳で結婚し、家のローンを払いつつ、東京の大学に進学を希望する息子のために自身の小遣いを月5万円→3万円→1万5千円に下げてやりくりする立派な父親です。

 

彼の名が一躍轟いたのが「こづかい万歳」2巻に登場した「ステーション・バー」のエピソードです。要は飲み屋に行って飲むとお金がかかるので駅の売店で酒とつまみを買って、駅の構内で酒を飲むということです。侘しい。

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駅のホームのベンチでやってたらマナー違反とのことで、画像のような絶妙な隙間に挟まって酒を嗜むのです。正直池袋あたりでは割と見かけるような気がします。

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このエピソードが登場した時、X(旧Twitter)は騒然となりました。「惨めにも程があるだろ帰って飲め」とか、「地域の都市伝説になってそう」とか「よっぽど家に帰りたくないんだろうな」とか。自分も概ね同意ですが、まあなんというか、ステーション・バーやる気持ちもわからんでもない(勝手に人間観察して生の映画を観ているような気持ちになりたいわけではないですけど)。

 

 

 

そう、自分もやってたんですよね。「ステーション・カフェ」を。

帰りに適当に買ったコーヒーを片手に駅のホームで20-30ほどぼーっとスマホを片手に過ごす。これが自分のステーション・カフェスタイルです。「早く家に帰れ」ってのは死ぬほどわかるんですが、ほら、家に帰ると1日を締めなきゃいけないじゃないですか。それが嫌なんですよねなんとなく。

仕事に疲れて帰ってきて、このまま1日を終えるのは侘しい。かといって酒が飲めない身で何かすることもないし読みたい本もやることもない…。そうだカフェに行って優雅にお茶をしよう。ただコーヒー1杯500円払うのもな…というどうしようもない気持ちになった時、ステーション・カフェの出番が来ます。

スマホを片手に適当なYouTubeを見ながら気持ちをクールダウンさせていく。「帰りにちょっと一杯やっていく」意味はここにあるのでしょう。自分は一時期シェアハウス住まいをしていたのですが、理由は「なんとなく家に帰りたくない」気持ちが大きくなってきて、「別に家賃払って賃貸にいる必要ないよな」という気持ちが強くなってきたからでした。

ステーション・バーをやってる村田のそれとは多少理由は異なるかもしれませんが、「賑やかでさ」という理由で駅で酒を飲む村田の気持ちもわかるな…となってしまい、こづかい万歳に俺の生活が侵食されてきていると戦慄したのでした。

 

 

 

 

 

キュビズム展に行ってきました

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上野の国立西洋美術館で開催中の「キュビズム展 美の革命」に行ってきました。

ピカソとブラックという2人の芸術家が生み出した新しい表現の可能性としての「キュビズム」が世界中に広まり、以降の芸術の多様なあり方に決定的な影響を及ぼした…と、wikiを見れば大体そんなことが書いてあるものの、実際にキュビズムの作品を見ても何がすごいかよくわからない程度の感受性の持ち主が見てきました。

多分ですが、全く準備しないで行くよりもYouTube山田五郎さんの動画を見てから行った方がいいと思います。ちょうどコラボ動画を出してくれてます。なぜセザンヌが近代芸術の父と言われるのか、なぜ訳のわからない絵にしか見えないキュビズムの絵が芸術に革命を起こしたと言われるのか、そのあたりのことを実際の作品を交えて解説してくれているので、「これ見たやつだ!」を実感しながら鑑賞できます。写真撮影OKだったものをパシャパシャしつつ見てきました。

 

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「訳わかんない」と言う感想をお持ちの方も多いキュビズムの作品ですが、実際に見てみるとデザイン的に格好いいものも当然いっぱいあります。例えば↑はジョルジュ・ブラック「果物皿とトランプ」という作品なんですが、モダンなデザインで見てて飽きない。

 

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ロベルト・ドローネー「パリ市」

キュビズム全体で見ても圧倒的な大きさの大作で、原画の大きさは267×406cm。ピカソの「ゲルニカ」が349.3×776.6cmなのでさすがにそれよりは小さいですが、それでも横400cmを超える作品は圧倒的な存在感でした。

 

余談ですが、館内で蘊蓄を話している人が数人いたのですが、妻によると「同じ内容(山田五郎さんの動画の内容)を話していた」とのこと。山田五郎さんの影響力すげえ…。

 

キュビズムは創成期の「セザンヌキュビズム」からピカソとブラックが実験的創作を続けていた「分析的キュビズム」ときて、次に「総合的キュビズム」へと時代が移っていったようです。そして第一次世界大戦後にキュビズム以後の芸術運動として「ピュリズム(純粋主義)」というものが出てきました。これはより機能性を「純化」した絵画の必要性を訴えた芸術運動で、幾何学的な空間性を特徴とした作品が多く、どちらかといえば現代に生きる我々にとって見た覚えのある建築物などが登場します。

1925年のパリ国際装飾芸術博覧会に出展された「エスプリ・ヌーヴォー館」がその記念碑的な作品なのですが、こういう感じの建物、既視感ありませんか?どちらかというと、現代に生きる人が住んでる建物に近いですよね。

図2:エスプリ・ヌーヴォー館

 

実は東京に住んでると、代表的なル・コルビュジエの作品を近くで鑑賞することができるんですよね。実は展示会の舞台である国立西洋美術館は彼の設計だそうです。キュビズムのもたらした芸術運動が現代まで強い影響を及ぼしていることにハッと気付かされて面白かったですね。

 

キュビズムを見に行ったのですが、ル・コルビュジエについて俄然興味が湧いてきたので追ってみようかなと思いました。

 

 

 

『FX戦士くるみちゃん』は原作版こそ面白い

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普通に電車でも広告が載ってる『FX戦士くるみちゃん』、可愛い絵柄と裏腹にハードなFX現場の戦いが描かれてます。

 

かく言う自分も本作はX(当時はTwitter)で知ったのですが、これ、「原作」も読んだ方が面白いと思います。なんでかって、堕ちていく人間描写の生々しさはこっちのが上だから。

コミックスを購入する前にこっちの方を先に読むと、今連載してるバージョンは「エグさが足りない」って思うんじゃないでしょうか。

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コミックス版のくるみちゃんはご覧の通りの萌えキャラですが…

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原作版はこうです。誰だよお前

後半ではくるみちゃんの後輩の芽吹ちゃんという子がFXにゲロ負けして風俗堕ちしていくのですが、実際に客を取ってる描写もあって、FX絶対やりたくねえと強く思わせてくれるパワーがあります。あと本編とはそんなに絡まない養分のオタクが臭そう(彼はコミックス版では別の萌えキャラに差し替えられています。臭そうなオタクは必要ないんや!)。

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後に風俗堕ちする芽吹ちゃん。原作バージョンのビジュアルの方が圧倒的に好みですし、堕ちていく様がいい感じです。

原作版は無料で全部読めるので、こっちを読破してから今連載中の方を読むと、「ああ芽吹ちゃんこれから堕ちていくんだな」って思いながら読めます。オススメ